子供の頃に住んでた地方に伝わる土用坊主の話。
土用は年4回あって、この土用の入りから節分(新暦2月の豆撒きが有名だがこれも年4回)
までの約18日間は草むしりや庭木の植え替えその他、土いじりをすることは忌まれていた。
この風習は中国由来の陰陽五行説からきたようだが、この期間に禁を破って土いじりをすると
土用坊主という妖怪というか土精のようなものが出てきて災いを為すと言い伝えられてた。
土用坊主の姿はあいまいで、土が固まって人型になったものという目撃談が多いようだ。
ただ別伝承の中には土の人型がだんだんに崩れてその人の一番嫌いなもの、見たくないものに姿を変えるという話もある。
出身地の旧村はほとんどの家が農家だったので、実際には土用の間すべて土いじりしないのは無理がある。
だからそこいらでは立春前の土用は慎まれていたけれど、それ以外の期間は土にさわっても問題なしとしていた。
春の期間もおそらく田畑関係のことは除かれていたのかもしれない。
このあたりは他の地域の伝えと少し違うかもしれないが、昔からの風習が廃れかかっていた頃のことなのだろう。
ある中程度の自作が庭の木の下に金を入れた壷を埋めていた。
この百姓はじつにケチで、嫁をもらったものの召使いのようにこき使って早くに死なせたし
実の両親に対しても年寄って弱ってくるとろくに飯も与えず一部屋に閉じ込めきりにして
やはりぱたぱたと死なせていたという。
また小作や使用人への当たりもたいそう非道いものだったらしい。
そうして溜め込んだ、百姓にはそれほど必要のない金銀を夜中にこっそり壷から取り出しては暗い灯火の下で数えるのが唯一の生き甲斐だった。
まだ冬のさなかのある夜、この百姓が夢を見た。
どこか遠くのほうから土の中を掘り進んで百姓の家にやってくるものがある。
人ほどの大きさもあるミミズで頭に人の顔がついているようだが、夢の中のせいか霧がかかったようにはっきりしない。
その化け物が生け垣の下から庭に入り込んできて壷のある場所にいき、壷を割って中の大切な金銀をむさぼるように食べている。
そしてすべて食べ終わると、ぐるんぐるんと土の中で輪をかいて踊るという夢だ。
この百姓にとってこれほど怖ろしいことはない。
たんなる夢とは片づけられないじつに気がかりな内容だった。
そこで次の日の夜中に、土用にもかかわらず壷を掘り出してみることにした。
龕灯と鍬を持って庭に下り掘り返すと、壷は割れた様子もなくもとのままで、口にした封にも変わった様子はない。
やれうれしや、と壷を手に取ると壷の下に幼い女の子の顔があった。
その顔は両目からたらたらと涙を流していて、一気に百姓の肩あたりにまでのびあがった。
夢で見たとおりの土まみれのミミズの体をしていた。
目の前で涙を流している顔を見て百姓はあっと思った。
それはずいぶん昔に人買いに渡した自分の娘の顔だった。
こういうのが土用坊主らしい。
うちの地域では俺の母親が子供の頃あたりまで、男の子でも女の子でも3~4歳くらいになると必ずあやとりを覚えさせられた。
技は一種類だけで「蛾」と呼ばれるもの。
これはけっこう複雑な取りかたをするが、素早くできるようになるまで何度もくり返し練習させられたそうだ。
今は産業としては成り立たなくなっているが、ここいらは昔は養蚕が盛んで
集落の裏の山(四百Mほど)のなかほどに「蚕霊塔」と呼ばれる供養塔がある。
こういう供養塔は明治以降、製紙工場の近くに作られたのが多いが、裏山のはかなり古い時代のものらしい。
この山一帯には「ヨシユキ様」という妖異が棲んでいて、それは大きなカイコガの姿をしているという。
ただし普通の人間の目には見えない。
この山に子どもが入るときには必ず一本の紐を持たせられる。
母親の場合は白い毛糸の紐で、わざと切れやすいように傷がつけてある。
なぜそんなことをするかと言えば、山中では「ヨシユキ様」に祟られることがある。
背中に重しがのったようになってかたわらの藪に突っ伏してしまうことがあったら
それは「ヨシユキ様」が後ろにのっているせいだという。
こうなるともう声もたてられない。
ばさばさというはばたきの音が聞こえてきてだんだんと気が遠くなっていく。
そうなったら意識があるうちに素早くあやを取って蛾をつくる。
その形のまま力を込めてプツンと紐を切ると「ヨシユキ様」は離れていくらしい。
子どもだけの場合は、これ以外に逃れる方法はなく。
寒い季節だと藪の中で発見されずに死んでしまう例もあったという。
この「ヨシユキ様」というのは、郷土史などでは南北朝の頃の南朝の皇子で、戦乱の際に自害した悲運の皇族と書かれている。
それが妖異となって山中をさまよっているということらしいが、その方がなぜカイコガの姿とされているのかはよくわかっていない。
おそらく歴史の中で埋もれた話があるのだと思われる。
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